ブラウン神父
こんにちは、さまんと申します。
最近、『ブラウン神父』を見ています。
ブラウン神父はG・kチェスタトンの推理小説を元にBBCが制作したテレビドラマで、2013年より放送が始まりました。
元々、アガサクリスティの推理小説『ミス・マープル』のBBCテレビドラマ(ジョーン・ヒクソン版)の虜となっていた私は、ミスマープルを全シーズン見終わり「マープルなき後一体何を楽しみに生きればいいのよ」状態でした。
そんな私の前に現れたのが『ブラウン神父』その人だったのです。
もはや、どんな時も何があっても「大丈夫、ブラウン神父が共におられる」状態。
『ミス・マープル』と『ブラウン神父』に共通する魅力の一つは、舞台が1950年代だということ。
1950年代のイギリスの田舎町、さりげないけど可愛い食器や慎ましいけど美しい花のお庭、そこでただ淡々と自分の人生と向き合い生きる人々。生活様式やファッションも、みんながみんな煌びやかではないけどなんだかとても美しいのです。(すごく好きだし憧れるけど、この時代ならではのしがらみや生きにくさみたいなものもちゃんと感じる、そんなところも綺麗なだけじゃなくて良い感じ)
それから、良い作品には共通することだとは思うけれど、ブラウン神父は「登場人物のキャラクター」が素敵です。キャラクターの塩梅が素晴らしく、完璧すぎないし良い人すぎないし、なんとも魅力的なキャラばかり。
ただ、海外ドラマはキャストの降板が多いジャンルらしく、ブラウン神父のキャラクターも結構な確率で降板していきます。
初めの頃は好きなキャラクターがいなくなることに動揺が隠せませんでしたが、海外ドラマ好きの人に「そんなことじゃこのジャンルはやっていけないよ、主人公が降板しないだけ幸運だと思うんだね」と言われてハッとしました。今いるキャラクターに感謝だよね。主人公降板泣いちゃうよ。
ちょっと話がそれますが、私は物語が進んでいく冒険ファンタジーよりも一話完結型の日常っぽい作品が好きです。でも最近、例えば『サザエさん』のように、変わらない日常を何十年もやってくれる作品が一番のファンタジーだなぁと実感します。誰一人欠けることなく、誰も変わらず、ちょっとしたハプニングはつきものだけれど最後はいつもの日常に戻れる、そんな毎日が永遠に続く、こんな幸せなことは類まれだし永遠にあるものではない、なんて非現実的でファンタジーなんだろうと思います。
その時々に合わせて変わっていかなくてはいけないのが現実な気がするので、永遠に幸せな日常が続く作品が安心できて好きだったけど、変わっていかなくてはいけないということや人は変わるし自分も変わる、終わりは必ずある、けどそれって悪いことではないよっていうことを感じられるようになってきた気がします。
ブラウン神父のキャラクターたちが変わっていくのを見て、さらにそう感じる今日この頃。でもサザエさんのキャラクターだって時代に合わせて少しずつ変わっていっているよね、ラップに合わせてカップヌードルのCMしてるもんね、なんだかよくわからなくなってきたよ。
まぁなんにせよ、ブラウン神父がナチュラルブラウン神父になってもダークブラウン神父になっても多分ついていきたい。